ITmedia に掲載された、梅田望夫さんのインタビュー記事が各方面で話題になっています( 前編 / 後編 )
。反応の大部分は梅田さんを批判する内容で少なからず炎上しているきらいもあるようです。
一部では「21世紀に見聞きした中で、最も残念なインタビュー」なんて頓珍漢な言われ方をしているようですが、私としては「梅田望夫という男の本質を白日の下に晒した」ということで、梅田さんにインタビューをし、あの記事を書いた岡田有花記者を絶賛したいと思います。
このインタビューに関する反応で共通していることは、英語圏のネット空間と日本語圏のネット空間が大きく異なってしまった点を残念だと表現したことで多くの反感を買っているようです。インタビューでは結局のところ「梅田さんの好き嫌い」ということで説得力のある話は語られなかったということも影響しているように思います。
また、インタビューでは例の"Twitter事件"にも触れられ、岡田さんにいいように煽られていましたが、私から見れば問題となった「日本語が亡びるとき」の紹介エントリで「すべての日本人がいま読むべき本だと思う」と無邪気に煽れば、そりゃあ読んでもいないし理解してもいない人が押し寄せてくるのは将棋の3手先を読むより簡単だと思うのですが、そこで逆切れしてTwitterでつぶやき、火に油を注ぐ状況になったのではないかと考えます。これはblogとかTwitterとかいう道具の問題ではなくて、読み手の反応を読まずに無邪気に文章を書き、無駄に読み手を煽ってしまった結果で自業自得だと思うのです。
英語の話については、私も最近2か月の間での OpenSolaris 関連の活動を通じて英語で表現することの意味の重さを身を持って知らされてはじめて「日本語が亡びるとき」で書かれていたことを実感としてとらえることができたわけで、あの本で主張されていることを理解しえる日本人はまだまだ少なく、「すべての日本人がいま読むべき」とはとてもじゃないけど怖くて書けないと今でも思ってます。英語圏の人は確かに無邪気な人が多いのですが、それを現状の日本語圏に何の警戒もなく持ち込んでしまったのが、"Twitter事件"の深層なのではないかと思います。
梅田さんのインタビューで非常に印象に残ったのは 後編の3ページ目 で、このページにもうひとつの梅田さんの本質である「極力リスクを避け、責任をとろうとしない」ということが色濃く現れているのではないかと思います。今の梅田さんは「サバティカル(長期研究休暇)に入る」といっていますが、要は半ニートのようなもので、将棋のタイトル戦があれば現地に観戦に出かけるし、ミューズ・アソシエイツだって「マックス1年間で会社を閉じられるようにしてある」と言っています。50歳手前のビジネスパーソンとして見た場合、責任のある立場を取ろうとせず、無邪気に興味の湧くことを追い求めるという姿勢が反感を買う理由のひとつなのではないかと思います。
平均的な日本人の場合、家族がいれば家族を養うことをファーストプライオリティにすべきだし、将来やりたいことがあるのであれば、その夢をファーストプライオリティに掲げアルバイトに精を出すべきだし、独身だとしても未来の家族を養う地盤を作ることをファーストプライオリティにすべきだと思われていると感じています。梅田さんはいわいる「ハイソ」でそういった金銭的な部分での心配がないという非常に恵まれた環境で育ったのかもしれませんが、恵まれていたがゆえにそれこそ一生を将棋に賭けるといった生き様にあこがれるのかもしれません。
ひょっとするとアウトサイダーとして書きたいことは梅田さんはすでに書き尽くし、本当にネタ切れ状態となってしまった結果が今の梅田さんの「サバティカル」という状態なのかもしれません。何事でもそうなのですが、自分の身を投じ泥臭い努力をしてはじめて知りえることというのはどの分野にも少なからずあるものです。梅田さんは今のスタンスを続けているかぎり一生「サバティカル」から抜け出せず、かつ特定の分野に深くかかわりをもつことに対してはあまりに歳をとりすぎてしまったのかもしれません。
梅田さんの言葉で梅田さん自身の本質を短い時間の中で語らせ、記事にまとめあげた岡田有花記者の仕事ぶりが輝いていた、そんなインタビュー記事だったのではないでしょうか。