2014年1月1日水曜日

【書評】 ゼロ---なにもない自分に小さなイチを足していく (ダイヤモンド社) 堀江 貴文 著



「1972年生まれ世代のこじらせ形態」から何を学ぶのか


著者の堀江貴文という人物は私にとって非常に気になる存在だ。メディアに何度も放映されたライブドアのトップとしてのエピソードもさることながら、私自身が著者と同じ1972年生まれで同じ世代の人間として著者が何を考え、思い悩んで生きて来たのかという点に強い興味をそそられるのだ。

本書を読むと分かるのだが、思春期から社会に出るまでの多感な時期にどのような刺激を受け熱中するのかというのはその後の人生に大きな影響を及ぼしうる。特にITに関するトピックはまさに日進月歩(程度は違うけれども今でもそうだ)で、ファミコンが発売されたとか、パソコンの新機種がどんどん発売されたとか、Windowsが一世風靡したとかインターネットが普及したとか、そういったことが次から次へ起こった時代を高校生〜大学生として過ごしたのが1972年生まれ世代だ。

この当時の変化はあまりに激しくて、生まれた年が1年でも違うと見える世界は随分違い、価値観や思想の傾向ががらりと異なってしまうということも珍しくない。あまり詳しく調べたわけでもないが、特定の生年で顕著な傾向が出るということが他にもあるらしい。

そのような著者や私をも含めた1972年生まれ世代でしかも地方に生まれた人間が、どのようなことを考え戦略を立てて実行すると一点突破できるのか、著者は突破できえたのかということが本書には述べられている。

著者ほどではないにせよ、私自身もずいぶん「やんちゃ」なことをして育ってきたことを思い起こしてみると、本書に述べられたことはあまりにも自然で「どうしてみんなそんなに感動してしまうのか」が理解できなかった。しかし、世代や生い立ちの状況が著者に似ていて、感動する以前に生々しい感覚が私の心に蘇ることがその原因だと知るのにそう時間はかからなかった。

本書には著者の若き日の生き様やその経験から得られた教訓が強いメッセージとして多く込められている。著者や私と同じような「1972年世代で主にIT方面で『こじらせ』てしまった人」にとっては強い共感を、そうでない人には著者の生き様とその教訓を得られるだろう。

ひとつ惜しいことがあるとすれば、著者が自身のメッセージを伝えるために大きなエネルギーを費やしていて、それこそ直球ズバリのアドバイスを述べ過ぎていることだ。「若い世代にメッセージを伝えたい」という情熱は立派で、主張していることも同年代の人間として痛いほどよくわかる。だが少しでも世代や生い立ちが違うと理解してもらうのが難しいメッセージを伝えるために、一見遠回りに見えるかも知れないが婉曲的な手法を検討してみても良かったのではないかと思う。「拝金」「成金」に続く小説形式で若き堀江少年の姿を描くのも一つの選択肢ではなかったのだろうか。

( 献本などはいただいておらず書店で入手し、年末年始に読んでこの書評を書きました。 )